第40代日本スーパーフライ級チャンピオン : 久高 寛之
久高くんとは12年前くらいに出逢ったと思います。
僕の父さんが久高くんのポスター撮影をしていて、僕が父さんのポスター撮影のアシスタントとして行くようになり、そういう感じで久高くんと出逢いました。
多分、2010年の対ウーゴ・カサレス戦での試合を、父さんと一緒に写真撮影したのが僕の久高くんを撮影する初めだったと思います。
2013年の対ソニー・ボーイ・ハロで僕自身が編集する試合動画を撮影しに行ったようです。
僕の手元にあった一番古い試合動画が2013年だったので、そう推測してます。
そこから僕が予定を合わせられる限り、久高くんの試合を撮影しに行きました。
2022年4月23日の対中川 健太で久高くんが引退するまで僕が撮影編集したのは合計12試合くらいみたいです。
最初の方の編集した作品は試合のみでしたが、どんどん膨らんでいって、最終的に久高家のホームビデオに昇華した感じでした。
久高家のホームビデオなので、世に出るような作品ではなく、久高くんと家族、関係者のための作品づくりですね。
時には、3時間越えの作品が出来たり、僕の能力の限界を超えた撮影に挑戦して挫折したり、キャパを超えすぎてどうしようもなくなったりでした。
なので、久高くんの試合のたびに撮影、編集の技術力が上がっていきました。
機材面でもランクをアップさせていきました。
元々は父さんのビデオカメラを使わせてもらってました。
三脚は父さんから借りての撮影です。
ある程度経つと、自分でルミックスのGH2を購入し、GH2で撮影してました。
チャンピオンになる人を撮影するのにはいい機材で撮影しないと、と思いルミックスのGH5を導入しました。
さらに、電子スタビライザーのRONIN-SCも導入です。
で、久高くんの最後の試合はGH6とRONIN-SCと父さんの三脚での撮影でした。
そのGH6での最後の試合撮影で初の試合撮影失敗を見事にするのですが、僕の実力はそういう感じですね。
編集ソフト面でもエディウスからアドビプレミアに、そこからダビンチリゾルブ無料版から有料版にと変わっていきました。
久高くんと時と共に、機材面でも編集ソフト面でも次のステージへということですね。
久高くんの目指す次のステージは、「ボクシングジムを経営する」らしいです。
37歳の久高くんは40歳になる前の1~2年後に行動出来たらと考えているらしく、それまでは下積みとのことです。
さぁ、ボクシングの神様は次に久高くんへどんな演出をするのでしょう?
久高ボクシングジムに通うジム生から世界チャンピオンが出るのか?
はたまた、ボクシングジム設立に難航して、久高ボクシングジムが誕生しないのか?
とりあえず、久高くんがボクシングで掲げていた「運命への挑戦」はまだまだ終わらなさそうです。
「もう試合はしない」と久高くんは公言していましたが、引退試合から資金集めが始まるのではないでしょうか?
そんなことを思いつつ、色々な場所へ連れて行ってくださり、沢山の作品に出逢わせてくれた久高くんに感謝です!
僕と僕の父さんの関係も久高くんのお陰で、弟子と師匠という新たな関係を築けたと思います。
僕の父さんが撮影した仲里ジムに飾られている久高くんの日本チャンピオンの写真をアップで撮るのを忘れたり、久高くんのポーズを考えなかったために同じポーズでしか撮影しなかったりで、僕はまだまだだということですね。
はい。
ということで、久高 寛之の『運命への挑戦』つづく…
仲里ボクシングジム(久高くんの所属ジム)
https://nakazatoboxing.com
久高くんが通っている整骨院(仲里ボクシングジムの横にあります)
久高 寛之 ホームページ
http://www.boxer-hisataka.com/
noteでの僕が書いた久高くんの記事